書斎と生活界との界面

書斎はプライベートな要素を集約した場所であるとともに人によっては神聖な場であります。物理的に孤独を提供する場所は、誰にとっても自らのアイデンティティを強固にするに必要不可欠であります。

特に書斎などの読書空間は空想や考えを巡らせる絶好の場所です。別の言い方をすればその場所は個人のライブラリーでもあると私は思っています。
つまり、図書館がその土地を知的に牽引する場であるように、書斎はその個人の同一性を基礎づけ、発展させる下地となる場なのです。

かりそめにも教養を持ち合わせた者が読書をするならば、書物に書かれたコンテンツは「コンテンツ」に留まらず外界に溢れ出て、自己を豊かにし、延いては文化をより豊かにしてゆきます。また読書は自分が存在している世界以外の世界が存在することを教え、俯瞰する視座を与えてくれます。

娯楽用の本もあれば現在の度量衡を差置かなければ理解に困難な書物も存在します。この多様性はもっと顕著になっていき複雑化していくことだろうと思います。インターネットの時代になっても活字は消えることなく流通し続けると思います。

電子パネルに映しだされた文字は絶対に触れることはできませんが、紙に印字されたインクの染みは触れることも嗅ぐことも舐めることだってできます(しませんけど)。

そういった五感を伴う行為は脳に多くの情報を提供してくれます。それを私たちは本当は気付いているのかもしれません。だからといって電子書籍が消えることもありません。豊かにする行為として観念する者もいれば利便性にウエイトを置く者もまた大勢いるからです。

これは電子楽器でストリングスの音が出せるシンセサイザー等が出てきたけれど、ヴァイオリンやチェロが消えずに根強い人気を誇っているのと同じ理屈です。

読書をする場所についてですが、私個人と致しましてはこだわりがありませんで、書斎のグッズや体裁に対して興味が湧かず、それに関する情報を語ることができません。人によっては場所が最重要なポイントなのかもしれません。